10月18日(金)
18・30~20・30 おおさかシニアネット3階教室
「陸軍の祖」ともいわれる大村益次郎が構想した大阪砲兵工廠は、アジア最大規模の兵器工場となり、その大砲生産などの高度な技術力は大阪のモノづくり技術の発展にも繋がった。一方、大阪に「軍都」という側面を抱かせ、大阪大空襲の標的にもなった。終戦で幕を閉じた大阪砲兵工廠の75年の歴史と役割を振り返る。
<講師> 三宅宏司(みやけ・こうじ)
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参加者の感想から
・明治から敗戦までの大阪の軍事工場について勉強になりました。亡父が言っていたことを思い出しました。
・今はまるで何事も無かったように大阪城の周りには近代的なビジネスパークや公園があり、平和な景色をつくっています。記憶が定かではないのですが、私が大人になってずいぶんたってからも、廃墟のような砲兵工廠跡がJR森ノ宮―京橋間に見えていたように思います。武士の時代から明治に代わったころから長い間、こうのような広大な場所で果たしてきた役割と歴史、さまざまな他のことにも大きな影響を与えてきたことなどを学び、あまりに知らなかったことに恥ずかしく思いました。
・学校の歴史で習わなかったことがよくわかった。
・本当に大きさに驚きました。レジメが写真で、文章でなく、先生の講義が大変よくわかりました。
・子どもの頃、環状線の電車の中からみていた風景を思い出しました。
・急に書けないくらい詳しく勉強させていただき、ありがとうございました。
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