「大衆文化の中の建築」
2019年11月19日@大阪自由大学
講師 石田潤一郎さん(京都工芸繊維大学名誉教授)
レジメはhttp://kansai.main.jp/swfu/d/ishida20191119.pdf
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2019年11月19日
大阪建築の個性――③大衆文化の中の建築
石田潤一郎
1)大衆社会と洋風建築
n 商業建築の洋風化
Ø 百貨店、舶来品店から一般店舗へ
Ø 劇場・映画館
Ø 遊園地・温泉場
Ø ダンスホール・キャバレー・遊郭etc.
² デザインの先進性が「尖端的」な風俗を象徴
² アール・デコ、「ライト式」の流行・・・首相官邸に「カフエー永田町」の異名
2)様式の訴求力
n 関西の建築デザインの「保守化」
Ø 「一般的に東京と大阪の建築の作風を比較しますと、東京ではオランダ風、スカンヂナビア風、或は独逸墺太利の表現派と云った様なもの、大阪ではアメリカレネサンス、スパニッシュミッション、さては東洋擬古主義・・・とその間に区別が明らかに見えるのであります。東京の傾向は進歩的であり、大阪の今での有様は擬古的であります。従って大阪での作風は穏健というか妥協的であります。・・・大阪文化の根底をなすものは打算であって、こうした事柄[建築意匠の動向]には冷ややかであるのが通例であります。・・・之に比して東京ではこうした事柄に対して、敏感でもあり、思索的であるために、理論的にいつも進んだ傾向をつかむかの様に見えます。この両者の間に、実際的打算的に着実であるのと、理論的にフレキシブルなのとの差異がよく見えるのであります」(昭和2年(1927)伊藤正文「建築意匠ノ東京ト大阪」)
Ø 「アメリカレネサンス」→渡辺節、「スパニッシュミッション」→ヴォーリズ、「東洋擬古主義」→安井武雄
n 渡辺節の活躍・・・鉄道院技師(先々代の京都駅を設計)を経て、大正6年(1917)、大阪設計事務所を開設。いち早く関西財界の信頼をかちえる。
n 「安く、良く、早く」をモットー→装飾的な「売れる」意匠と合理的な平面計画、建設資金の借入金利に配慮した短工期の施工法の提案など、不動産経営の機微に触れた設計
3)モダニズムの日常化
n 「猟奇的」モダニズム
Ø 「朝日ビルと阪急ビルとを語る」(『建築と社会』昭和7年2月号)
² 片岡安「朝日ビルは全体を通じて、材料からスタイル、ウォークマンシップ[職人の技量]に於て何とかして素人目に触れるようにと云ふので、あらゆる方面に尖端を行かうとしたものだが、それは成功した」
² 武田五一「つまり新奇を衒う、猟奇的だ」
n 民衆に支持される「新興建築」をめざして
Ø 村野藤吾「建築の経済的問題」(昭和5年、早稲田大学での講義)
² 「合理的な設計とは、之れを貨幣価値にあらわさなければ証明されぬ事となったのである。近代建築に於ける、単純、無装飾等の特性は、複雑、技巧、装飾等、昔の建築に加えられたものが不必要になったというのではなく、夫等によって吾々は利潤を生み出すことが出来なくなったと云う事でなければ、意味をなさぬのである」
Ø 村野「ウールウォースの凋落前後」『建築と社会』(昭和5年11月号)
² 「民衆の好尚はいつでも建築に先行した。アメリカに於ては例外なしにそれが行はれたと云っていい・・・次の時代に民衆は決して躊躇しなかった。現にドイツ流の建築運動を母体とするフランス流のいわゆるアメリカにおけるモダーンデザインは・・・もはや完全に民衆を捉へてしまった」
4)新しい住まい
n 郊外居住の流行と定着
Ø 都心の過密化/衛生思想/田園趣味/「田園都市」
Ø 開発の主体
² 電鉄会社による沿線開発
² 土地会社・富豪による開発
² 土地区画整理による宅地造成
Ø 当初は都心と同様の形態
Ø 若い中産階級の核家族という特性/低建蔽率と自然の近さを生かした設計→建築家の参加
n 建築家による模索
Ø 住宅改良運動にはじまる合理的住居観
² 洋風住宅の推奨
² 接客重視から家族本意へ
² プライバシー意識、公室・私室の峻別志向の高まり
² 生活様式の「近代化」への対応→個室の確保、イスザの導入
² 中廊下式平面形式の普及、居間中心型平面の提案
² 住宅博覧会・設計図案集→一般解の提示
² 日本の気候風土に適合した洋風住宅様式としてスパニッシュの導入
n 集合住宅の提案
Ø 第一次大戦による都市問題の惹起→公的住宅供給の必要性;住宅難の解消/居住水準の引き上げ
Ø ドイツにおけるジードルンクの情報
Ø スラム・クリアランスのための大規模・高密度集住推進の必要
Ø アパートメントの試み
² 住戸で生活が完結する現代的な形態は稀。ほとんどが共同炊事・食堂
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